装いと異文化コミュニケーション


 随分前にページを設定したものの、どうやら公開ブログには一定の不文律があるらしい、と気づいて以来、すっかり気後れしてしまった。
 何せ日記といえば、日々のあれこれの中で起きる心の機微の変化のようなものを綴り、文章化することで、物事に対する気持ちの整理・追体験の中から思索を深め、あるいは心情吐露によってある種のカタルシスを得るもの、という思い込みがある。だから、特定の個人についての記載は×、あまりに私的な主観に基づく話も×、愚痴や不満も×(書くのは勝手かも知れないけど、読む方は面白くもないもんね。)、となると、ブログ書くのも一種“仕事的”割切り、客観性みたいなものが必要なんだな、とこれまでいくつかのブログを拝読する中でひそかに感心していた次第。。


 だけど今日、“書いてみようかな”と思った、というのは、どういう心境の変化かしらね? ともあれ、期せずして今日は『気楽に書けることから始めてみよう』の記念すべき日になったわけだ。ブログ入門初日のトライアル、というわけだね。。まずは装いとコミュニケーション、ということで、今日の書き込みをしてみようと思う。



「らしさ」の主張

 
 このところのサンパウロは、春の移ろいやすい気候とはいうものの、最高気温が日本の冬並みという日がしばらく続き、ここ2〜3日は日中の最高気温が35℃という猛暑にいきなり突入。そして今日、厚い雲に覆われて再び気温は下がり、久方ぶりの雨は嬉しかったものの、夕刻からまたしても随分冷えてきた。日本じゃ考えられないけど、ウールのセーターとタンクトップを日替わりで着替える有様……。結構濃やかに自分の体調と気温の変化を捉えて対応しなくちゃならない。お子さんのある方たちは尚更大変だね。


 それにしても、ブラジルの社会にあってどういう装いをするか、というのは、欧米ほどではないにせよやっぱり結構重要だと思う。お手伝いさんたちとドナとでは、微妙にニュアンスが違うんだよね。むしろ違えられるようにならなくては、ここでの生活をちゃんと理解したことにならない、とも思う。気候と体調、加えて一歩外に出れば“ドナらしい”装い――これを意識して服装を調えるって、生活を“キチッと締める”上で、結構重要なポイントだと思う。
 赴任してきた当初は、治安上の問題から「華美な服装をしない」というのが最重要課題かつ唯一のルールだったけど、1年半経ってようやく少し余裕を持って装いについて気を配れるようになってきた。
 昔から旅行が好きで、ヨーロッパその他を旅して歩いた経験上、夜の装いには結構気を遣ってきたものの、日常生活のシーンでどんな風に装えばいいのかって、想像以上に難しい。Rua(街路)を歩いて観察しているとある程度は参考になるけど、体型・肌の色・髪の色の違いで、同じ格好をしていても『サマにならない』のが、悲しいかな日本人。さらには歩き方、バッグの持ち方、姿勢、しぐさ……まあ一種のボディランゲージだけど、こういうものってすごく大事な気がする。してまた、日本にいるときにはあまり気にならなかったのも、思えば不思議なものだ。
 かつ(!)、大前提に治安上の問題が避けて通れないハードルとして存在するわけだから、日本や欧米にいるときと違って服やバッグ、ジュエリーで高級感を出す、という最もイージーな手段が通用しない。その制約の中で如何にドナらしく装えるか、っていうのは、ひとつのトライアルだね。(つまり、そんなことにトライできるほど私ヒマです、っていうこと。)


 駐在に出る前に何人ものブラジル在住経験者に話を聞いたけど、だれもそういうことって教えてくれないんだよね。無論、個々人によって価値観も様々だし、「ちゃんとした格好が大事、だけど華美に走らず、コスチュームジュエリーなどをうまく使い、尚且つ周囲への注意を怠らず、歩くときはしっかりした足取りで、隙を見せないことが肝要...」なんて、いちいち説明できない、と思っちゃうのかな?


 でもね、駐在者って、もちろんどこに居を移そうとも、自分の人生真っ只中を驀進中、には変わりないけど、他方、任地の国にあって「日本人のひとつの類型」と見られることも、好むと好まざるとに関わらず事実なわけ。そういう意味ではやっぱりその国の社会に適応しつつ、日本人としてのセンスや価値観をさりげなくアピールする、っていう努力は、重要な課題なんじゃないかな、と思うわけです。


 さてと、初めにしては頑張って書いたな。。明日から書ける日には少しずつ、ここ最近の出来事や旅行のことなど、書けそうなテーマ・話題を探しつつ、ブログに取り組んでみますか!