木村尚三郎氏ご逝去の報に接して



 西洋歴史学者東京大学名誉教授、静岡文化芸術大学学長の木村尚三郎氏が、今月17日、亡くなられた。歴史学者としてのみならず、上記エッセイで日本エッセイストクラブ賞を受賞した筆達者としても知られ、膨大な著書を著された。数々の政府調査会等の有識者会議の常連でもあり、また愛知の万博では総合プロデューサーも務められた。


 もう随分前のことだが、書籍編集の仕事をしていた私は、その豊富な歴史の知識と筆力を恃んで、歴史ファンタジーの執筆を依頼した。雲を掴むような話だったが、『面白そうですね、いつかやりたいですねぇ……。』と受けてくださった。当時から多方面に引っ張りだこで、その時点でこれから執筆予定という書籍も6〜7冊、企画が溜まっており、大層ご多忙であられた。土台、新参者が入り込む余地などなかったし、企画自体にも学者先生に依頼するのはどうかという問題も無きにしもで、実現可能とは思われなかったにも拘らず、むげに断ることなく可能性を残してくださった優しさが、とても嬉しかった。


 ご自宅は横浜の方だが、赤坂に仕事場をお持ちで、こちらに立ち寄った際に“私の台所です”という料理屋でご馳走になったり、出版社を退職した際には丸の内のパレスホテルでお昼をご馳走にもなった。大変温厚な紳士であられた。図書紹介の小さなコーナーにご執筆いただいた際、私が撮った顔写真を大層気に入ってくださり、ポジフィルムを差し上げたこともあった。携えていたカメラがライカだったことから、写真が趣味という先生と、ひとしきり話に花が咲いた。


 風貌もさることながら、新しいものへの意欲を持ち続けるという意味で、年齢を感じさせない方だった。それも、今様の“エネルギッシュなオーラを発散する”というタイプではなく、あくまで静かで、淡々としたお人柄だった。そしてまた、一際尖った才能もなく、人としてまだ棘だらけの荒削りな私を、とてもソフトに受け止めてくれた数少ない人生の大先輩のひとりであった。交流が途絶えて何年にもなるが、向けてくださった優しいまなざしへの感謝を忘れたことはない。
 

 お別れの会は今月30日に増上寺で執り行われるそうだ。まさか先生の訃報に、地球の裏側で接することになろうとは思わなかった。享年76歳、まだまだご活躍いただきたかった。お別れの会に足を運ぶことはできないけれど、感謝と敬愛の念を込めて、ご冥福をお祈りしたい。