エスコーラ・デ・サンバを見学

 


 2月に開催されるカーニバル。ブラジル各地を熱狂させるその本番に向けて、エスコーラ・デ・サンバでは夜な夜な熱い練習風景が繰り広げられる。
 リオやサンパウロなど、一般的にサンボードロモという特設会場で開催されるサンバは、1チーム3000〜4000人もの大群衆がとりどりの衣装に身を包み、ひとつのテーマ・曲の元で一大ショーを展開する、というもの。当然“ぶっつけ本番”というわけには行かない。何ヶ月も前から周到に準備して当日を迎えるのである。
 とりわけバッテリアと呼ばれる楽隊はなかなかに訓練も厳しいと言われ、ほぼ年間を通して日ごろから鍛錬が欠かせない。実際、本番の採点上も、バッテリアのウエイトはことのほか大きい。
 こういった訓練をする場所というのが『エスコーラ・デ・サンバ』である。直訳すると“サンバ学校”、私も説明を聞くまではサンバを教える学校だとばかり思っていた。


 サンバチームというのは、日本の祭でいうところの連にあたるらしい。地縁や、社会的な絆で結ばれた人々が、そのコミュニティーの中で形成し、育成するものだそうだ。しかもその絆はカーニバルの練習に留まらず、今では行政の手の届かないところで、教育や福祉のセキュリティーネットの役割すら果たしているエスコーラも多いと聞く。
 今日はそういったエスコーラを「梯子」する見学会に参加した。


 まずは日が暮れる前に、晴れの舞台、サンボードロモへ。私たちもまだ本番の熱気を直に味わったことはない。サンパウロではマージナル・チエテに程近い川べり近くに通年設置されている。ただし、普段はご覧の通り、駐車場代わりに使われていて、当日の熱狂を窺い知る術もない。冒頭の写真がサンボードロモのほぼ全景と、中央に設えられた舞台の様子だ。


 サンボードロモを後にした私たちは、2箇所のエスコーラ見学へと出発した。
 ブラジルのこと、夕刻から人々は三々五々集まってくるとはいうものの、実際バッテリアがリズムセクションのウォーミングアップを始め、それに踊り子たちがステップを踏み始めるのは21時も過ぎてからだ。いよいよ花形のポルタ・バンデイラ(旗持ち女性)やメストレ・サーラ(旗持ち案内の男性)が加わり、隊を作って熱気と共に踊り始めるのは22時近くなってから――となれば、子連れも含む私たち見学会参加者は時間の都合上、ちょうどこれから、というところで切り上げなくてはならないのがいささか残念。。
 でも、迫力のバッテリアの音作りとそれに合わせて楽しげにステップを踏む女性たちの姿は、「本番も斯くありなん」という感じでカーニバルの熱狂の一端を窺わせてくれた。


 
 それぞれトン・マイオールとカミーザ・ヴェルジ・エ・ブランコのエスコーラ外観。

 
 アギア・デ・オーロでは、出来上がったばかりの来年の衣装お披露目の日だった。右は総合プロデューサーとも言うべきカルナヴァレスコの指揮風景。
 
 
 
 バッテリアと踊り子たちはそれぞれサーラ(練習場)の反対側で準備を始める。
 隊を作ると最初にすることが、ポルタ・バンデイラとメストレ・サーラが先導する旗に、バッテリアのミューズたちが礼を送る儀式。そしてポルタ・バンデイラとメストレ・サーラによる華麗な先導のもと、バッテリアのリズムに合わせて踊り子たちが輪を作る。


 夕刻からコミュニティーの老若男女が集い、サンバのリズムに浸りつつ、歌と踊りでひとつになる。サンバ・チームには実力主義もあれば年功序列もあり、その格付けが一種犯しがたい確固とした社会を構築している。その厳しい規範の中で、一心にサンバに打ち込む姿はとても健全だ。この中で育ち、若さを発散し、生き甲斐を見出し、居場所を見つけたなら、人生、多少のことがあってもやっていけそうな気がする。そして何かあったとき、このコミュニティーが支えてくれる気もする。
 いとも簡単に社会から転落してしまうブラジルにあって、エスコーラの存在が如何に大きな支えとなり得るか、想像に難くなかった。逆に、日本の都市部にもこんな、祭りを契機にした年間通じての集いの輪があるならば、老人の孤独死や幼児虐待、家庭内暴力など、どれほど多くの社会問題を吸収することだろう、と、ふと思ったりもした。
 耳を聾し、腹の底にこたえるようなバッテリアのリズムに浸りつつ、夢中でステップを踏む若者たちの姿に、カーニバルを越えた何かを感じさせられた一夜だった。