哲学談義の一夜


 一昨夜、ちょっと呑み過ぎてほろ酔い加減でいい気分の連れ合いと、ひとしきり宗教談義・哲学議論に花を咲かせた。信仰とは何か、そも幸福とは、祈りとは何ぞや、輪廻転生・因果は存在するか――この類の壮大なテーマについて、卑近な二人が侃々諤々議論を戦わす(というよりいろいろな文献や見解を引き合いに出して持論らしきものの体裁を作り、意見の開陳をし合う、というのが正しいかな。。)のであるから、客観的に見れば滑稽と言えなくもない。


 でもこれが、当家の家庭円満の一助になってもいる。思っていることをありったけ話す。そこに美味しい料理もあれば尚良し、美酒然り。。こういうひとときが終わりを迎える頃にはいつだって、話題に上っていたテーマの答えは出ないながらも、議論の目的はちゃんと達しているものだ。すなわち、言外に自分たちの今ある幸せを確認し合っている……。


 実社会における会話では、優勢・劣勢、意見を通すもの・折れるものに分かれ、得てしてそこに複雑な感情が絡みがちだ。けれども理想を言えば、相手をやり込めず、尊重しながら傾聴し、それぞれが思っていることを忌憚なく述べ合う、そんな風にありたいもの。
 家庭も仕事も政治でも、それが上等なコミュニケーションのあるべき姿ではなかろうか?