小雪舞う中、豆まきをハシゴ



 午前中、烏丸丸太町近くのお寺で節分会に立ち会い、一度帰宅して
“ふんどしの紐を締め直し(?! )”、13時から始まる北野天満宮の節分祭(うち追儺式の部分)に出陣!
 朝は良く晴れていたものの、昼過ぎからは曇りがちになり、時折雪も舞う寒の一日である。



 天神さんの入り口に掲げられている看板には「午後1時半〜」とあるが、今年は午後1時から。紛らわしいなぁ……。
 定時少し前に舞台となる神楽殿に到着。周囲を取り巻く人垣はすでにかなりにして、脚立に載ったカメラマンもちらほら。テレビカメラまで来ている賑わいぶりに、「さすが北野天満宮」と思ったら、実は今年は豪華ゲストが豆を撒くという情報が流れていたせいだとか(写真でお分かりですね。。右京区の映画村から出張ってきた黄門さんご一行でした)。


 まずは茂山千五郎社中による『北野追儺狂言』が奉納される。これは思いの外見応えのある出し物だった。




 次いで、近隣の上七軒歌舞練場から、例年を上回る7名の芸舞妓衆が日本舞踊を披露。芸舞妓さんの日舞は一本筋が通っていて美しい。
(これらの写真、人の頭越しに勘を頼りに撮る他なく、大層厳しい撮影事情を鑑みていただきたい……。)




 そして恒例の豆まき。例年は狂言の社中と芸舞妓さんによって行われるそうだが、加えて今年は里見浩太郎演じる水戸黄門の一行が北野を賑わせた。
 いつの間にやら人垣はさらに幾重にも増え、いざ豆まきの段になるとジリジリと間が詰められて、気付いたらちょうど中ほどの位置。それでも最前列からはかなり離れ、しかも背の高い人が手を延ばす上、始まったとたんに後ろの人の腕でしたたか頭を殴られるに至り、「こりゃ受け止めるのは無理……」と気持ちドン引きしながらも、何故かふたつも福豆ゲット!!! こりゃ、今年は幸先良いかも。。




 “懐ほくほく”で帰宅、一休み。でも、まだ今日は終わらない――。


 続いて、15時から千本釈迦堂で行われる『おかめ福節分会』へ!(元気と言ったらよいか、物好きと言うべきか……。)
 「さすがに天神さんほどの人出ではなかろう」との見通しの甘さを、境内に着いたとたんに思い知らされる。いやはや、北野に勝るとも劣らぬ人波だ。脚立持参のカメラ愛好家も多い。人混みの中程より少し後ろ辺りに着陣。
 ここの特徴は、お亀さんの故事に因み、鬼を追い払うのが“おかめの福徳”である点かな。法螺貝を吹く山伏(の頭にもおかめさんの面。。)を先頭に、狂言師と僧侶一同が人混みの中を練り、おかめ塚の前で般若心経をあげて法楽が行われるところから法要は始まる。この日のおかめさんは朱の傘を差し掛けられ、西陣の緞子の着物で正装。



 妙法蓮華経 観世音菩薩普門品 第二十五 偈文と、繰り返しあげられる般若心経をBGMに、豆を撒く年男の紹介や祝電の披露。ここの年男は地元にゆかりの政財界の面々が中心だ。
 次いで番匠保存会による木遣りの奉納。



 茂山千作社中による古式鬼追いの儀と続く。





 狂言と言ってもごく簡単な筋があるだけで、わりとコミカルな出し物だ。
 そして豆まきが始まるわけだが、紙で包まれた豆は壇上から投げてもさほど遠くまで届かず、専ら殻付きのピーナツに頭を直撃される。結局ピーナツをふたつ拾っただけ。。


 とまあ、こんな風に3つの豆まきをハシゴして、無事に節分も終ったというわけ(寒さ対策は万全だったが、立ちっぱなしの時間が長かったせいか、腰に若干の負担を感じるあたりに年齢が……)。古来、京都では『四方詣り』と言って、北野天満宮吉田神社壬生寺・八坂神社の4ヶ所を節分に参る風習があるとのことだが、負けていないかも。。
 さあ、明日は立春――暦は着々と春に向かって進んでいるのであった。