暖かな風に包まれて



 気候が随分、穏やかになってきた。まだカーディガンは必要だが、日中陽が射すと気温もぐっと上がるようになり、肌に当たる空気が暖かい。ベランダに出ていると心がスッと鎮まり、さらさらと流れていく時間の砂粒を数えられるような気さえする。
 以前はいつも、何かに追われているようだった。時間はあっても気が急いて、心が休まる気がしなかったものだ。買い物をしたり散歩をしたり、新しいことを始めようという時の『動』のエネルギー同様、心静かに時を過ごすというのもまた、『静』のエネルギーが良い感じで満ちていなければ味わえないものだ。


 鳥の声を聴きながら風に吹かれていると、海辺のリゾートへ出かけたときのような“休暇”のイメージ、楽しい期待が胸に広がる感覚が湧いてきて、思わず目を閉じて潮騒に聞き入りたくなる。ようやく外国暮らし、“サンパウロ暮らし”を楽しめる時期が来たのかな、と思ったりする。


 つい先頃、大手航空会社GOLの飛行機が落ちた。幸い日本人は搭乗名簿に載っていなかったものの、連れ合いの会社ではローカルスタッフの一人がその便にニアミスで、危うい所で難を免れた。2週間前の日曜にはお馴染みのリベルダージ(東洋人街。皆、日本食材などを求めて買い物に行く)で白昼、駐在員がピストル強盗に遭った。いつ、何が起きてもおかしくない中で、私たちはせいぜい危機回避に努め、後は祈るほかない。捉まえたタクシーの運ちゃんがまともな人間であることを祈り、道に立っている兄ちゃんたちがラドロン(強盗)でないことを祈り、後ろから早足で追い越していくおじさんがひったくりでないことを祈り、車の脇に止まったバイクの二人組みの懐から拳銃が出てこないことを祈る。
 でも、それはそれとして、一日また一日と、楽しいことや嬉しいことに彩られながら日が過ぎていく、それこそが「生きていく」ということなのだろう。
 “生き下手”だった私もようやく今にして、手応えを感じながら生きることが、少し分かってきたような気がする。