行き場のない自分が蹲る


須賀敦子―霧のむこうに (KAWADE夢ムック)

須賀敦子―霧のむこうに (KAWADE夢ムック)


 友人のTさんが貸してくれた本を読んでいて、人生の果てに行き着くところのある人のことや、行き着く場所以前に、その過程そのものが他人に消えることのない印象を残す類の人のことなど、考えさせられていた。私自身、どれほど長い間、その命題について自問自答し、その度に自分がいかなる分類においてもそういった「世に足跡を残す類の人間」でないことを痛感せしめられてきたことか……。堂々巡りの思考は絶えず私の人生と共にあった。

 
 自分の中に感じる何かを昇華させる“道具”を手に入れられない――能力の限界に阻まれるたびに別の発現の方法があるのではないかと模索してみる。もともと仄かな春の空気のように捉えがたい「私自身のあるべき姿」は、現実世界の仕組みや成り立ちに向き合うと、とたんに実体をなくして、あたかも何もなかったから結果が現れないのだ、と言わんばかりに私を傷つけた。


 中学生の頃のこと、春も近いというのに大雪が降った日の翌朝、私は二つの目を奪われる光景に出会った。雪が現出したほんの一瞬の光景だった。
 ひとつは、地苔類が付くほどに年老いた真っ黒な梅の古樹、その黒光りする木肌に降り積もった純白の雪を見たときだった。朝日を浴びて解け始めた雪が尚一層輝きを増すそのコントラストの激しさは、想像を絶するものだった。
 そしてもうひとつ、雪と泥、彩の少ない冬の町の中で、八百屋の店先で出会った光景もまた、私を足止めした。しばらくはそこから動けなかった。真っ白な雪の上に、出始めたばかりの真っ赤な苺が一粒、落ちていたのだ。その息を呑むばかりの色彩の鮮やかさをどうすれば表現できるのか、人に伝えられるのか――。その感動だけが30年近くたった今も尚、鮮明に記憶に残っている。


 たくさんの想念が、イマジネーションが、柔らかな感覚と風の臭いが、私の中でたゆたっている。それが外に出るとき、人生の扉が一杯に開いてすべてのものが変わることだろう。なのに、そんな日は決してやっては来ない。扉には大きな閂が掛けられていて、私の力ではどうしても開くことができない。自分を解放する手立てを持たないままに、脹らみかけた温かいものが湧いては消え、湧いては消えていく。


 およそ人にとって気がかりなのは、この世に何を残せるかだ。しかし、むしろ意識すべきは、この世に何をしに生まれてきたのか、だろう。しかしそれは、この世に生を受けている間には解明されないことでもある。何か意味のあるものを残せるかどうか、というのは、何をしに生まれてきたかという問題が的確にクリアーされた後に結果として付いてくるものなのだろうに、「自分の生きた証を残すには……」と性急に気ばかり焦るのが人の常だ。本当は何を残すかよりも何をしに生まれてきたかを見つけ、その課題と向き合って「よく生きる」ことのほうが先決なのだろうけれど……。


 私はこの世に、何をしに生まれてきたのだろう――。