初夏の空気に包まれて


 重い腰を上げて、車で手近のスーパーまで買出しに出かけた。ここ数日、どうしても外出したくなかったのだが、水の買い置きが底を付いてしまい、いよいよ出掛けないわけに行かなくなったのだ。気が萎えているとき、車の運転はしたくないものだ。この町では尚更、萎えた気に付け込む輩までも引き寄せてしまいそうで、一日延ばしにしていた。
 出掛けてしまえば何ということもなく諸々の用を済ませて帰宅した。出かける際、回しておいた洗濯も終わっていて、洗い上がった衣類をベランダに干して一息ついた。


 今日は暑くなった。窓を開けて風を解放する。暖められた空気が静やかに部屋を満たし、微風となって私を包む。地上15階の高さを吹く風に湿度はなく、初夏のけだるいような心地よさに身を任せる。ベランダから射し込む日の照り返しが閉じた瞼にすら眩しい。時折鳥の声が渉っていく。静かな日曜の午後……。窓辺に掛けた風鈴が思い出したようにチリン、チリンと澄んだ音を響かせる。
 記憶の底で軽い疼きを覚える。こんなに静かな心持で蒼い風に吹かれていたことなどないはずなのに、過去一瞬心を過ぎっただけの幸せな感覚の記憶が、乾いた風の感触に微かに蘇ってくる。いつも何かに追われていた気がする。こうして全く心を解放して鳥の声に耳を済ませたことなどなかった気がするのだ。それなのに、不思議な寛ぎはちゃんと記憶の中にしまいこまれている。あれはどこの風だろう? 瀬戸内の風か、播州の風か、多摩の風か……「いつ、どこで」という符牒の抜け落ちた、感覚だけの記憶が、それなのに心を充足感で満たしてくれる。思い出したいような、思い出す必要など無いような……。目を瞑ると真っ青な空や子供たちの歓声、潮騒、額を伝う汗の感覚までもが蘇ってくる気がする。私はいつの間にか心の底に、自分がいつでも寛ぐことのできる瞑想の楽園を、しまいこんでいたのかもしれない。