独立記念碑とMuseu Paulista


 


 ブラジルがポルトガルから独立を宣言したとき、ドン・ペドロ1世が『独立か 死か!』という有名な叫びを上げた、とされるイピランガに、独立記念碑がある。そのすぐ近くには、壮麗とも言える建築美を誇るMuseu Paulistaが優美な佇まいを見せている。バンデランチスと呼ばれる奥地探険家たちが足場とした昔から帝政期、そして現在へと至る、サンパウロの歴史博物館だ。今日行われた見学会は、この2箇所を訪ね、ブラジル独立を中心とする歴史を紐解くひとときとなった。


 


 歴史を彩った人間模様と、時代を巡る生活様式の変遷が、パッケージみたいに分かりやすくまとめられていた。独立記念碑地下にはドン・ペドロ1世と后妃レオポルジナの棺も納められており、ブラジルの歴史を一望する感がある。とはいうものの、独立宣言が1822年、今日までわずか200年にも満たない間の出来事であるから、コンパクトなのも頷けるというものだ。
 立派な独立記念碑ながら、頂部を飾る主要な彫塑は、何とそもそもは帝政ロシアがフランスに発注したものだったとか。革命とそれに引き続くロマノフ王朝の崩壊によって引き取り手がなくなっていたところ、イピランガ記念碑の製作発注が舞い込み、フランス側、ブラジル側共に“渡りに舟”とばかりに流用を決め込んだそうだ――格安「liquidasão(バーゲン)」で。。


 帰宅後、ポルトガル語アウラがあって、イピランガ記念公園と歴史上の文物がひとしきり話題となった。聞けば今でもドン・ペドロ姓を継ぐ王室の末裔というのが2家系、残っているそうだ。リオ・デ・ジャネイロ郊外の夏の離宮で有名なペトロポリスというところは“ペドロの町”という意味合いだが、ここの固定資産税の一部が、いまだにこの二つのドン・ペドロ家の経済を支えていると聞いた。
 こういう『こぼれ話』みたいなことばかりが頭に残っちゃって、肝心な歴史はサッパリ身に付かない。学生時代からの困った傾向は、いまだ健全である。